自室から

徒然に

211016_追想

初めて会った時、駅から出てきて周囲を見渡すその人の元へ、僕は照れくささを隠しながら近づいて行った。一本道になっていて、まるで恋愛バラエティの初めて出演者が邂逅する場面のようだったから、変な笑いが込み上げてきた。

 

並んで歩きながら、変な沈黙ができず自然な会話ができるように目に映る建物や道のりについて説明していた。

「歩きやすくて驚いてる」

とその人は呟いた。僕も同じだった。歩調や会話の空気感が心地良かったのだ。

 

茶店に食事に行った時、初めてマスクを取った。綺麗な人だと思った。そんな人が目の前にいるのが不思議な感覚だった。

 

動物園で初めて手を繋いだ。驚くくらいに指が、肌が馴染むような感覚で、しっくりきた。お互いの体温を感じながら歩いているとすごく暖かい気持ちになった。疲れたから少し座ったつもりの湖畔のベンチ。手を繋いだまま座っていると、幸福感がさらに増してきた。こんなことは初めてだった。当初の意図に反して何分も黙ってベンチに座っているうちに、こんな感覚になれる人は絶対に大切にすべき人だという気持ちが少しずつ明確に形を持ちはじめ、決意に変わった。予定では夜景の見えるような場所でムードが良くなったら告白する予定だったが、むしろ今しかないと思えた。その人は笑顔で頷いてくれた。気取った場所ではなく、こんなふうに自然と居心地の良さが感じられた場所で告白できて良かった。他の人にとっては何気ない場所でも、自分たちにとっては特別な場所になるから。

 

展望台に上り夜景を見ていた。余計な言葉なんてなくても幸せだった。平日だから人気もなく、ほぼ貸し切りのような状態だった。僕は髪の毛を触っていいかと尋ねた。その人は身を預けてくれた。肩に手を回して数分そのまま過ごしていた。胸の鼓動が高鳴った。

 

その晩、その人は僕のパジャマを着て隣に座ってテレビを見ていた。初めてキスをした。信じられないくらい良かった。

 

一緒に寝ているときにもキスを求められたので、布団の中で何度もした。いっぱいキスしてくるじゃんと笑われたが、求められたからしたのにと笑い返した。

 

手を繋いでいるときによく指を動かして笑いあった。

 

バレンタインデーだからと、生チョコ、カップケーキ、生キャラメルをくれた。

お返しにホワイトデーには、市販のビスケットサンド、手作りクッキー、プラネタリウムの三段構成でサプライズプレゼントをした。特にプラネタリウムは泊まったホテルのコンビニに届けておいたもので、我ながら良いサプライズができたと思う。包みを開けた時の彼女の幸せそうな顔は今も脳裏に焼き付いている。

 

映画を観に行った。映画の上映前に少しだけ頭を撫でた。上映中に手を繋いでいた。上映後にラーメンを食べながら、感想を語り合った。

 

在宅ワークの休み時間に抱き合ったりキスしたりした。出社の日にはキスをして家を出た。夜は家に急いで帰った。彼女はいつもニコニコしてこちらを見ていた。別れが近づくと、寂しそうな顔でよく部屋の中をついてきた。鏡の前では、抱き合いながら自分たちの姿を見るのは恥ずかしいので、鏡を見る側を押し付けあった。

 

カラオケに行った時に曲の歌詞に思うところがあったのか、「私はずっといなくならないよ」と伝えてくれた。別れの曲が現実にならなければ良かったのだけど。思えばいつも、「これからは私がずっと傍にいるよ。もう一人じゃないよ」と伝えてくれた。

 

行為に苦手意識があった僕が克服できるまで付き合ってくれた。優しくて、この人を大切にしようと思った。

 

一緒にいる時に、このままでは近いうちに別れが来ると悟って泣いてしまった僕を、訳も分からないだろうにずっと慰めてくれた。優しくてますます涙が出てしまった。この人は幸せにならないといけないと強く思った。その役目が自分だったら良かったのだけど。

 

目の前にあるもの、見たものについて楽しく話せる、無言でも居心地が良い、それは確かに大切なものだと思った。しかし、それ以外の目の前にないものについては極端にその人は話すのが苦手だと気付いた。

 

付き合う時、「好きだよ」と好意を伝えた。

彼女は泣いた。

別れる時、「好きだよ」と好意を伝えた。

彼女は泣いた。